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ドーマン法の実際、結婚、子育て |
「ラブちゃんが本を書きました!」大畑楽歩さん(1/3) |
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| アテトーゼ型脳性まひを持つ大畑楽歩さん。過去にドーマン法に取り組みマスコミの話題を集めた彼女も今や専業主婦業で大忙し。そんな彼女が今回、自伝を出版されるということで、当サイトがインタビューしてみました☆ | |
| 2009年10月26日 更新 |
| 大畑楽歩さんのプロフィール 1978年生まれ。 生後間もなく、呼吸器に痰が絡み窒息。これにより脳性まひとなる。 1984年京都市立川岡小学校入学。1986年4月から米のドーマン法を取り組む。(1986年1月~1992年9月まで休学) 1994年3月京都市立桂川中学卒業後、父のオフィスで事務のバイトをしながらニュージーランドへ語学留学や障害者スポーツなどにのめり込み、気ままな独身時代を経て2000年9月に結婚。2001年10月長男を出産。 現在、専業主婦の傍ら、執筆活動の他、身体障害者モータースポーツ振興会や バリアフリーマガジンCo-Co Lifeのモニタリングスタッフなどに係わる。 ⇒ブログ『人生楽しく歩いていきましょ! ☆ 楽歩’s ワールド ☆』 |
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今回の執筆中の本をどんな方に読んでもらいたいですか?
CPの方やそのご家族の方々はもちろんのこと、身近に障害者のいない人にも是非、読んでもらいたいです。前者の方々には闘病記として、後者の方々には一人の女性の結婚・出産・育児体験談として多くの方々に読んで頂ければと願って執筆活動に勤しんでおります。
簡単に内容のご説明をお願いします。

幼少の頃
誕生から今までの31年間を、CP本人が自ら語る脳性麻痺者の自伝。
誕生から次々と襲いかかる不運を切り抜け、なんとか育ってきた幼少期。
どうみても、障害があるのにもかかわらず、我が子を障害児だと受け入れられずに“普通の子”として育てて、あえて検査など受けることを拒み続ける両親のもとで育ち、教育委員会とかなりやり合った末、兄や姉が通う、地元の小学校(普通学級)に入学。
入学したものの、すべての面において両親が思う以上に大変な毎日で、死に物狂いで過ごした1・2年生。身体の成長に伴いジワジワと運動機能も低下する中、てんかんの発作まで起こってしまいます。いよいよ普通学級に留まっていることが難しくなってきた矢先、テレビのニュースでドーマン法のことを知った両親。それまでと一転し、我が娘はアテトーゼの脳性麻痺者であることを認め、ドーマン法こそが、唯一の娘を治せることのできる方法だと信じ、義務教育である小学校もあっさり休学。

トレーニングの光景
世界一厳しいと言われるドーマン法を取り組み、訓練一色の生活を6年間続ける中で、オリンピック選手も顔負けなトレーニングを朝から晩まで積んできたわけですから、運動機能もかなり改善はされたというものの、脳性麻痺が治ってしまうなんて、今の医学ではありえない訳で・・・。(笑)
それでも、両親は、ドーマン生活からなかなか抜け出せず、私は思春期を迎えようとしていました。
私はなんとかこの生活からの脱出し、すったもんだの末、中2の2学期から復学したものの、今までのブランクを埋めることができず、高校受験は見事に失敗。

フィラデルフィアの
人間能力開発研究所の前
大事な幼少期の時間を取り戻したいという気持から、親をはじめ周りからは、様々な非難の目を浴びながらも、私は学歴を捨てて、これからの人生は「いかにハンディを乗り越えるか」に費やすのではなく「ハンディを抱えたまま、いかにイキイキと生きていくか」に時間もエネルギーも私のすべてをかけたいと思い、その都度、親とは、衝突と和解を繰り返しながら今の私があり、それらを包み隠さず、ありのまま語る中で、少しでも誰かのお役に立てるなら、こんなに嬉しいことはありません。
そんな想いを託してこの本を仕上げていきたいです。
また思春期以降は、理学療法士である主人との出会い・結婚・出産・育児と、31年間の軌跡を余すところなく綴っています。










